小林多喜二の蟹工船が、再び脚光を浴びているようだ。
我が輩もちょうど一年前に読破した・・・ものの、もう内容はうろ覚えだ。
しかし、「エッ糞、エッ糞」という労働者の悲痛な叫びは強烈だった。
なお我が輩には、表題の蟹工船よりもB面の党生活者のほうが、
より作者のリアルに近い部分を描き出しているのだろう、
反体制の旗を掲げ地下に潜る者たちの息づかいが感じられて面白かった。
非業の死を惜しむと共に、追いやった人間を糾弾したい気持ちだ。
此度の再燃には、文学的に優れた作品であるということはもちろんだが、
格差社会という言葉が市民権を得たことが影響を与えているようだ。
さて、ここで以下のような背景を想像するのは恣意的だろうか。
「格差格差とマスコミが声高に叫んでいるのを、
不自然なことと認識しなくなっていく社会。
一方通行の情報を植えつけられて麻痺していく思考。
一日に疲れ惰性でとりあえず点けたTVから流れる、
くだらないプログラムに捧げる乾いた笑いが、ささやかな楽しみ。
やがて高架下での生活にも慣れて、日陰者同士傷を舐め合い始める・・・
一方で、その汁を吸い上げながらほくそ笑むマスコミ。
マスコミがいかに神妙な顔をして生活弱者の立場を装っても、
そこにリアリティはない・・・」
ところで、とにもかくにも、我が輩はマスコミが好きじゃあない。
だから、パイナップル共和国ではメディアに対して厳しく目を光らせ、
基準以下と判断されるプログラムについては自粛していただく。
【パイナップル共和国的マスコミについてのQ&A】
Q.どうして彼らの商売が成り立っているんですか?
A.企業が広告媒体として評価し、広告宣伝費を払うからです。
Q.なぜマスコミが企業からそのような媒体としての評価をされているんですか?
A.多量の情報を不特定多数に一方的に垂れ流すことにより、
一定数以上の大衆がどんな低俗な内容でもありがたがってゲラゲラ笑うため、
常にある程度の効果が見込めるからです。
Q.なぜマスコミは普段TVに出ない人のことを一般人とか、シロートと呼ぶのですか?
ゲーノー人はそんなに大した存在なのですか?ちょっと傲慢じゃないですか?
テメーに勝手にレッテル付けされたくねーです。
A.うん、確かに、マスコミのこのやり方は傲慢で疑問を覚えます。
そのように差別化してメディア、及びメディア出演者の価値を高めることにより、
一定数以上の大衆が大したことのないことでも盲信的にありがたがって、
自ら格差を作るようなことをする現象に味を占めたのですね。
Q.だとすると、視聴者がそれなりの分別を持って毅然と臨めば、
マスコミにも安易な洗脳は困難であるという危機感が生まれ、
品性劣悪な番組は淘汰されるような自浄作用が働くのではないでしょうか?
A.実にその通りです。本来そうあるべきなのです。
私たち一人一人がしっかりとメディアリテラシーを身につければ、
主体性を持ち無闇に権威に溺れるようなことをしなければよいのです。
しかし、悲しいかな、皆がみんなそのように振舞えるという訳にはいかないんです。
水が低きへと流れるように、大衆も低いほうへと流れていきやすい傾向にあります。
つまり、受身でいられ、群れの中で当たり障りのない話題にできるという点で、
メディアは実に上手く私たちを攻略しようとします。
しょーもないバラエティーや、ゲーノー人の痴話喧嘩や、
ありきたりドラマの話で盛り上がるように仕向けます。
一足先に周りが計略に嵌ってそのような話題に終始しだすと、
それを知っていないと置いてきぼりであるかのような錯覚をしてしまいます。
そう感じてしまった時、もう既にアナタはマスコミの罠に掛けられてしまっています。
マスコミが、どこも一斉に同じ話題ばかり扱うのは、
事を過剰に演出してアナタを罠に掛けようと謀っているのです。
日常をマスコミに支配されないためには、個人がしっかりと、
お前らの思い通りにはならないぞという意識を持つことが大切です。
万 国 の 視 聴 者 よ 、 首 傾 げ 斜 に 見 よ ! !
以上が我が輩の常々思い抱くところであるが、
我が輩もまた一面的な考えに縛られることは避けねばならない。
マスメディアの必要性、社会への貢献。これは認めざるを得ないだろう。
けれどもやはり、その横暴にはもはや目に余るところがある。
この権力を相対的に薄めることが出来るという点では、
我が輩はネットの普及は非常によいことだと考えている。
逆さまに見ろ!!